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法人破産の予兆?40年間取引していた銀行の態度が変化した時の話

みなさんこんにちは、あまとです。

私が会社を倒産させなければならなかったのは、ある理由があります。その要因大きな一つは、銀行の対応が変わったことです。私はその変化を感じ、厳しい現実を突きつけられました。

私が経営していたのは、創業50年以上の地方中小建設会社の3代目で、15年経営に携わっていました。支払いは毎月、とても大きな額でした。工事を受注すると、前払金を発注者から受け取ります。そして、残りのお金は金融機関から調達し、竣工金で返済する資金繰りを日々こなしていました。

しかし、世界的に影響のあった感染症が流行し始めた時期と重なりました。新規事業はストップし、建設業も一時停滞しました。工事現場では、材料が作れず、労働者が来られない状況が続き、工事の進行は遅れました。しかし、毎月の支払いは変わらずやってきました。

そこで、私はいつも通りメインバンクの銀行に相談しました。しかし、いつもと違った雰囲気がありました。その時、銀行の担当者から本部からの指示で新規借り入れができないと告げられました。しかし、制度融資なら可能だと言われ、すぐに手続きを始めました。

その制度融資とは、最大で8000万円の保証付き融資のことでした。具体的な詳細については、また別の記事でお話ししますが、保証協会って借りる人のためではなくて、銀行ためにあるんですよね。法人破産してから代位弁済で債権が保証協会に移ることで理解しました。

制度融資について話します。僕が住んでいたエリアでは、市役所が窓口となっていました。申請書には前年度と比較して売り上げが下がっていることを証明する必要がありましたが、余裕で下がっていたので書類作英は簡単でした。

会場には、多くの会社が申請に訪れていました。飲食・小売業の人々が特に多く、皆が同じように資金繰りに困っていました(会話が丸聞こえだったので、聞き耳立てての主観ですが)。

僕が申請した制度融資は一発で承認され、それを銀行に持って行って、8,000万円の借入をお願いしました。低金利の融資だと説明されていましたが、途中で意外な提案を受けました。

銀行担当者から「この8,000万円で既存借り入れを返済してください」と言われたんです。既存の借入とは僕が会社を引き継いだ時からあった当座貸越しでした。この借入は毎年利息と手数料を払って毎年ジャンプしていた借入です。

この要求に対して、僕は驚きました。借金の別の返済を提案されて、もう会社がつぶれてしまうのではないかと思いました。その返済に対応したら資金ショートすることは明らかだったし、そんなことは銀行員なら理解できているはずです。

しかし、担当者の答えは曖昧で、「本部から指示がある」とだけ言われ、具体的な解決策は示されませんでした。結局、僕は検討する時間が必要だと言って、その場を終えました。

その後、制度融資で借りたお金は、迫っている支払いに充てました。銀行の担当者も、僕の状況を理解してくれたようでしたが、彼もサラリーマンなので、自分の立場を守るために必死です。別の銀行から返済資金を借りてきてくれないかと相談されました。

いや、そりゃ無理だろとおもいつつ、銀行の本部への解決の方向で動いているというポーズも取るために政府系金融機関へ借入の申し込みにいきました。

中小企業、特に地方の建設業は、施工管理が主で利益率は低いです。工種や落札率でも変わりますが、5%〜15%くらいでした。設計単価の上昇や待機時間の増加など、厳しい状況が続きます。

建設業で15年働いてきた私の経験では、バブル期以降、建設業が稼げるとは感じませんでした。そのため、金融機関からの借入が資金繰りのキーとなります。

金融機関との取引は重要です。バブル期以降、建設業が稼げるとは感じませんでした。メインバンクからの既存融資の返済は、倒産の兆しと感じました。それでも、サブバンクからの借入も可能でした。リスク分散のため、複数の金融機関と取引することが重要です。

この時点では、倒産という選択肢は考えていませんでした。僕の頭の中には、「どうすればこの金額を返済できるのか?」という問いだけが残りました。

しかし、この一件が、僕が会社を守るための最初のステップだったと後に思いました。当時、僕は破産申し立てという単語さえ理解していませんでした。僕の心には社員の給料やボーナス、そして自分自身の生活の心配があったのです。

何とか会社を存続させて、いつか経営が好転した時には、給料を上げたりボーナスも高く出してあげたいという夢も持っていました。

僕は就職氷河期世代で就職や昇給を冷遇された世代だったので、僕より年下の社員たちには同じ思いをさせたくなかったし、会社に入ってから家族を作ったり、住宅ローンを組んだ社員もいます。

会社という舞台で人生を向上させていきたいと考えるのは、普通の人間にとっては当たり前で悪い考えではないと僕は考えています。なので、僕には会社を辞めるという思いは全くなかったのです。

どうすれば会社を続けられるのか、という一点だけを考えていました。しかし、今振り返ってみると、この時の銀行の対応が僕が破産申し立てを決断する最初のきっかけだったと思います。

銀行からの返済の厳しい要求に耐えて、最終的に僕が取った行動は破産申し立てになっていきますが、この出来事が最初のステップだったと思います。

資金繰りで忙しくて余裕がない状態が続くと、こういった予兆に気づきにくくなりますが、この記事を読んでいる方で、同じような立場環境におられる方は、金融機関の取引設定の変化や担当者の様子を今一度気を配ってみてください。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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